Miyuki

色鉛筆作家


1983年生まれ


岡山県真庭市在住。


高校生の頃から色鉛筆をつかった

イラストを描く。
結婚後イラストを描くことを止めていたが
7年後、また絵が描きたいと思い立ち
イラスト制作を始める。


男の子ふたりの母。

岡山県新見市で生まれ
10歳から真庭市(旧久世町)に住む。
14歳から鏡野町(旧奥津町)に住み
高校卒業後新見市にもどる。
結婚を機に真庭市に再び移住する。

すきなもの プリン

にがてなもの トマト メロン コーヒー
(コーヒー牛乳と甘いカフェオレは飲めるようになりました。)

↑
(プリンを与えられると上機嫌になるちょろい作者)

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Miyukiと色鉛筆

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〇Miyukiが絵を描くようになった話
〇Miyukiが絵を描いて想うこと。
について長々と書いています。
お時間とご興味のある方は良ければご覧ください。
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“買えなかった”から“描く”ことができた。

 子供のころ
 よくぬりえをしていました。

 小さい頃から
 うちは裕福ではありませんでした。
 おもちゃはほとんどよそからのおさがり、
 ほしい物をねだられても買えやしないので
 私はしょっちゅう叱られていました。

 ただ、思い返すと
 母はよくぬりえは買ってくれていて、
 頼んでいなくても勝手にぬりえの本は
 絶えず手元に届いていました。
 そう、頼んでいなくても…。

 (本当はシルバニアファミリーや
 リカちゃんの新しい服が
 欲しかったのだけど…。)

 なのでただ“何か買ってもらえた”のが
 嬉しいのもあり、
 姉妹二人でぬったものを見せ合ったりしながら
 ぬりえをした楽しい記憶があります。
 
 はじめぬりえに使っていたのは
 12色の色鉛筆でした。

 小学校に上がったばかりの時だったか、
 あるとき、祖父母が40色の色鉛筆を
 プレゼントしてくれたんです。

 新しい色鉛筆、ましてや40色、
 おそらくそれを手にした私たちは
 目がキラッキラしていたと思います。
 初めて見る40色の色鉛筆は
 見たことのない色ばかり、

 そらいろ
 エメラルドいろ
 こむぎいろ
 みかんいろ
 ふじむらさき
 ときわいろ、
  
 宝物を手にしたかのようで
 嬉しくて嬉しくて
 二人ですぐ、ぬりえをしたのを覚えています。

 少し大きくなると
 ぬりえからお絵描きにかわっていきました。
 セーラームーンやレイアース、
 少女コミックのカラーページを紙に写して描く
 つまり絵を模写するんです。
 そしてそれをぬりえのように色鉛筆で
 色をつけていきました。
 だってペンなんて高いものは買えなかったので。
 
 中学生になった時、
 突然転校することになりました。
 しかも山奥深く、
 周りには郵便局と商店、大きな木、
 あとは山、山、山。
 本も手に入らない、そんなところで
 コミックを買ってもらえるわけもなく、
 年頃なのも相まって、
 ちょっとしたイラストは描くけれども
 前ほど絵をかくことが少なくなっていった
 ように思います。

 高校生になってしばらくたった私は、
 当時とても人気だったイラストレーターの
 326さんのように 
 自作の詩を作るのが流行ってたのに乗っかり
 友達と詩を書いては
 お互い見せあいっこしていました。

 ふと、
 「私も326さんみたいに絵に詩をつけてみたい」
 と思い立ち
 ペンをとったのですが
 プロが使うカラーペンが無い…

 当時お小遣いがもらえなかった私には
 とても買えるものではなく

 困った… 

 そう思って無力感に
 部屋をぼーっとながめていたら、
 はっと、
 「そうだ、色鉛筆があるじゃないか!」
 あの40色の色鉛筆があることを
 思い出したんです。
 棚にしまい込まれた色鉛筆を
 いそいそと取り出し
 ルーズリーフにイラストを描き、
 色を塗る、

 できた!
 私にも色をつけたイラストが描けた!

 “色のついたイラストが描ける”
 ということが嬉しかった私は
 それから楽しくなって夜な夜な
 ルーズリーフや無印の無地のノートに
 ひたすら描いていました。

 今の私の絵のスタイルの元になったのは
 このときでした。

 カラーペンは300円、
 色鉛筆は一本100円程。
 安い物だと60色が2,3千円で手に入る、

 色鉛筆があったから
 私は"絵をかく"ことが叶ったのです。

B4の大きな手紙

 いまだに大切に持っている手紙があります。

 それは高校生の時、
 絵を描き始めて一,二年程経ったときに
 美術の先生に私が無印のノートに書き溜めていた
 絵を見てもらったことがありました。

 仲のいい友達にしか見せていなかったので
 自分が絵をかいていることなんて
 自分から話もしなかったし
 まして私は吹奏楽部です。
 
 通っていた高校は選択科目に音楽と美術があり、
 当時音楽は集大成として最後に
 「バンド演奏発表」
 という
 陰キャには末恐ろしいノルマがあり、
 それを回避したかった私が
 ぼっちでも選んだのが美術でした。

 美術の先生は非常勤の
 陰キャぼっちの私にもフランクに接してくれる
 とても気さくで明るい先生でした。
 
 ある日、友人と先生のもとに行った時
 先生が自身の個展で展示する絵を
 小さなキャンバスに描いていて
 「この子も絵を描いてるよ。」
 と友人が私のことをしゃべってしまい
 「えー!そうなん⁉見たい見たい~!」
 という話になって、
 人からそんなことを言われることなんて無い私は
 (まぁ、まんざらでもないか)
 などと思い
 おだてられいそいそと絵を描いているノートを
 学校に持って行ったのですが、

 見せる直前になってはたと

 (いや、本職の人に素人の絵を見せるとか、
 だいたい見せたとて中二病患った
 気持ち悪い絵にみられるんじゃないか…?
 微妙な感想だったらどうする?!)

 と我に返り、
 断ることも選択肢にあったことに気づき
 血の気が引くも時すでに遅し、
 約束していたので
 渡すだけ渡してそそくさと帰りました。

 それからしばらくして、
 友人伝えにノートが返ってきました。

 ノートのあいだには折られた藁半紙が挟まっていて
 開くとB4の大きな紙にマーカーで

 「メチャメチャ感動です。」
 
 と綴られたお手紙。 


 「ミユキ様。
 もーメチャメチャ感動です。
 カワイイしインパクトあるしキレイだし。
 何かメッセージを含んだような部分にスゴイ
 ミリョクを感じました。私も最近
 描いてなかったんだけどミユキさんに影響
 されてちょっとヤル気になってまいりました。
 また個展するかも、その時は見に来てね。」
 (※一度個展に行かせていただいたことがありました。)



 そんな感想もらえるなんて思ってなくて、
 人生で初めて
 自分がありのままを褒めてもらえ、
 それだけじゃぁなく
 影響を受けた、とまで言ってもらえた。

 今思えば先生は絵画教室もしていたので
 生徒を褒めるのには慣れている、
 そもそも社交辞令だったかもしれない。

 それでも、
 当時の私が絵を描くことに意義を感じるには
 十分すぎるできごとでした。

 大げさかもしれないけれど、
 この手紙がなければ私は絵を今描いてなかった
 とさえ思っています。

 絵はいつしか押し込めた私の心の
 吐き出す場所になっていきました。
 それでも環境がかわっていき
 それすらできなくなってしまった。

 行き場を失った私の心は
 自分が何が好きで何が嫌いで
 何者なのか、
 それすら感じることができなくなっていきました。

 何もかも手放して
 自分のために生きようと思ったとき
 私に残っていたのは
 「絵を描きたい」
 でした。

 むしろ、それぐらいしか無かった。

 いまだに大切に持っているあの時の手紙。
 紙は茶色く色褪せ、今にも裂けてしまいそうなくらい。
 カラッカラになった私の中には
 あの時の嬉しさに勝るものはなかったのです。